とうとう手術の日がきた。

姉ちゃんの手作り弁当を前日に食べた。
玄米おにぎり、きんぴらごぼう、ひじき、
愛情たっぷりの優しいエネルギーを感じた。
つねに微熱で食欲もなくて、病院食もあまり食べれてなかったけれど、
頑張って食べた。もしかしたら、最後のご飯かもしれない。

前日の夜飯まで食べて、それからは下剤飲んで、トイレ地獄だった。
夜中も何度も何度もトイレに駆け込んで、お尻の穴がヒリヒリしていた。
ほとんど寝れないまま朝を迎えてしまった。
とどめは、朝一の浣腸。。もう何にもでないカラカラの状態だった。

旦那さんとりょうがほぼ毎日お見舞いに来てくれた。
ほんとうに心強くて30分の面会時間が毎日待ち遠しかった。

手術前日、仕事の都合で旦那さんがこれなかった。正直一番来てほしい日だった。
明日は手術、、恐怖だった。もしかして、もう会えなかったら?
でも、次男のりょうが、気遣って学校から1時間ほど自転車を漕いで会いに来てくれた。
ほんとその気持ちが嬉しかった♪ 顔が見れて嬉しかったよ ありがとうね。
姉ちゃんも心配してかけつけてくれた。ほんと心強かった。私は幸せ者だ〜。。

手術当日
手術用に着替えて、呼ばれるのを病室で待った。
コロナの影響でか当日家族には病室で会えなかった。
旦那さんと、りょう、姉ちゃん3人が来てくれた。
病室から手術室まで自分で歩いて行くんだけど、5分くらいの距離、その時にやっと家族に会えた。

心配そうな家族の顔。頑張ってね!
うん、頑張ってくるね! むりやり笑顔を作って手術室に自分で歩いて向かった。
怖かった、とにかく怖かった。逃げ出したい気分だった。

手術室は思った以上に広くて、テレビで見たような光景。すごいまぶしそうなライト。
無機質な冷ややかで冷たいイメージ、細長いベッドに仰向けに寝るように言われた。
背中にヒーターが入っていて温かいのがありがたかった。

それから酸素マスクをされて、ゆっくり呼吸してください。
吸って〜吐いて〜吸って〜吐いて〜

次に意識が戻ったのは、術後すぐだった。

手術終わりましたよ。わかりますか?
名前を何回か呼ぼれ、簡単な手術の内容を言われていたけど、
全く理解できないまま。
ナースステーションに一番近い、術後に入る病室に運ばれた。

その時の気分はほんと、最悪だった。
とにかく痛い、痛い、痛い、きつい、きつい、きつい目も開けれない
お腹からドス低い声が勝手にでる
おえ〜〜〜〜
血圧測る腕の袋が定期的に膨らむ。
血圧が下がって看護士さんたちがあたふたしていた。
電話か何かで どこかに確認している。
ほとんど動けないし、目も開けれないのだけれど、意識はとてもクリアではっきりしている。
看護士さんたちのやりとりも、全部はっきりと聞こえている。
慌てている雰囲気もすぐにわかる。
私、このまま死ぬのかな?そんな事を考えていた。
正直、死んだ方が楽かもしれないと思った、なんか疲れたし、生きる事への諦めがあった。

人数制限が2人までなので、旦那さんとりょう、それから姉ちゃんが
それぞれ病室に来てくれた。
でも話す気力もなく、目を開ける事もほとんどできなかった。

とにかく眠りたかった。
心電図と血圧、いろんな管が付いていた。いろんな機会音もずっと鳴っている。
ときおり緊急っぽい音がでると看護士さんがすぐに様子をみにくる。

とても寝れる状態じゃなかった。

背中の脊椎麻酔から痛み止めを追加注入してもらった。
たぶん2か3回お願いした。それでも あまりの痛みでほとんど眠れなかった。
最後はこれ以上は時間をあけないと投与できませんよって言われた。

後から聞いたけど5時間程の手術と聞いていたけど
なんと12時間もかかったらしい。
待っていた家族は気が気でなかったらしい、、
なんかあったに違いないって、、
朝、手術室入って、出てきたのは夜の8時ごろだったんだから、、そりゃ心配するよね。

12時間もお腹を開けっ放しだったのだ。
そりゃキツイはずだ。

傷の痛みはもちろん、腰がもう限界まで痛かった。
痛すぎで、灼けるような痛み。
12時間も同じ体制だったわけで、術後の今も同じ体制、、
もう腰が痛くて痛くて何度もナースコールを押した。
クッションを入れてもらうけど、気休めにしかならなかった。
もう痛みが辛すぎる。。。
時間よ早く過ぎてくれ〜〜